理髪店の弟子
著者:宮澤英夫


一

「カイン、泡立ては終わったか」

 鏡の前に立つマスターは、ハサミに付いた傷をなめるように確かめながらボクにどなった。

「何言ってるんですマスター、こないだ石鹸の粉が切れかかってるから、お客さんが見えたと同時に泡立てやれ、って、おっしゃってたじゃありませんか」

 そう言い返すボクをマスターは不機嫌な顔でにらみつけ、

「石鹸を買って来るのはお前の仕事だ」
「安いから二の市で買いだめする事にしてるでしょう。あと半月はあります」

 マスターは顔をゆがめてそっぽを向き、ボクに聞こえよがしに、

「この野郎、レザーもまともに磨けないくせに、言い訳やへ理屈ばかり上手くなっていきやがる。このまま将来独立したら、しゃべるのに夢中でお客の頭にハサミおっ立てちまうわ」

 お決まりののセリフだ。

 そう、ボクは今のところ、この床屋の弟子ということになっている。弟子とはいうが、扱いはほぼ奴隷だ。
 将来は彼の息子が店を継ぐ予定だけど、アノヤロウはろくに掃除もできないくせ、ボクをさしおき一番弟子ヅラしやがる。
 もっともその息子は経営かなんかの勉強をするとかで、ここ半年ほど店にはいない。つまりボクはいま現在、この床屋の唯一の弟子であり、マスターの鬱憤をこの一身に受けている状態だ。
 だいたい雇われるときは向こうから、悪いようにしないからぜひ来てくれ、って言われたのに。
 そしてボクも、こんな待遇になることは最初からわかりきっていた。
 でもボクは、こんな理不尽な状況を文句も言わず受け入れている。なんでそんなことしてるのかって――

「早く入れば?誰もいないからしり込みすることないよ」
「うるさい。俺はいいからお前やってもらえ。俺はこれでいい」
「山賊と間違えられるから私がいや」

 傭兵か冒険者風の男とその連れらしきカップルが、店の前で五分ほど言い争っていた。客が尻込みしているのか単なる営業妨害か、ボクは前の方と見込んで店を出て、二人に近付いた。

「どうぞ、お客が他にいませんから待たなくてもけっこうですよ。何だったらお二人とも」
「いや、いい」

 行こうとする男の腕を、女がすごい力でひっぱる。体格差はかなりあるのに、結局男の尻は店の椅子におさまった。
 この女、魔法でも使ったのか?

「いらっしゃい、どのようにいたしましょう」

 マスターのあいそ笑いに男はぶ然と、

「適当に。そろえるくらいでいい」
「食い詰めた山賊に見えないよう、ばっさりやっちゃってください」

 その一言でマスターは動いた。主導権は女の方にあるみたい。
 そしてマスターがボクをにらむより早く、ボクは泡立て器に石鹸を盛る。

「旅のお方ですか。いろんなところ行けて、私どもにはうらやましい限りですな」

 マスターのやけに媚びた猫なで声は、ボクでなくとも腹が立つ。

「いえ、これでなかなか大変です。何しろ明日の食糧どころか、命の保障すらありません」
「でもこうやって、日がな一日お客の相手してるよりはましでしょう」

 マスターの言葉に、青い髪の女が微妙な笑顔を向けた。店に立った経験があるみたいだ。
 にしては、聖職者のような白っぽい衣をまとっているし、何て言うのかはっきり知らないけど、持っている道具もそれっぽい。
 何よりも、そんな清潔に見える女の人がなぜ、こんな傭兵風情と一緒にいるんだろう。
 でも今は営業中、お客さまの詮索は厳禁。

「お客さま、カバーをかけますので失礼します」

 ボクは手際よく男の首に布をかける。それは首だけ出して体全体をおおうものだけど、マントとはまた違う。
 男はあからさまに変な顔を作り、

「何だこれ。ここじゃこんなマントを客に着せてるのか?」
「切った髪が体につかないためじゃない?」

 そう言い切った女にボクは笑みを作り、

「よくご存知で。このごろ床屋で流行ってる、新しい発明品なんです。これがあれば、私どもも掃除のとき楽なので一石二鳥、というところです」

 男の方はまだわかってない様子だ。
 男の頭にハサミが入っているあいだ、女は荷物入れから何やら本を取り出し、飽くことなく読んでいた。
 ボクにはそれが気になってしかたなく、手が空くとその紙面をのぞき見た。

 一発でわかった。

「それ、魔法の書でしょ」

 女は少し驚いて、

「よくわかったね、あなたまだ小さいのに。これは読める?」

 彼女は何のためらいもなく、その高価そうな魔導書をボクに差し出した。
 ボクも迷わず手を出す。
 その時ボクの掌が彼女の手を包む形になり、なぜか彼女はあわてて手を引っ込めた。
 子供ぎらい?男性恐怖症?そんな感じに見えないのに。
 おかげで本を取り落としそうになったけど、もう片方の手でなんとか空中キャッチし、すぐ中を確かめる。

「仕事中だ。お客さんに失礼だぞ」

 マスターの叱責が飛んだ。すると女が笑みを浮かべて、

「髪切り屋さん。もしよかったら、この子と話をさせていただけませんか?仕事が終わってからで結構ですから」

 ボクは意外な言葉にびっくりする。マスターも、いすに座ってる男も、いぶかしげな顔を見せた。

「ですが、カインはこの後も店の仕事がたまっておりまして、申しわけないですけど」
「そうだ。ただの小僧に裂く時間はない」

 客の男も不満そうに言う。

「ただの小僧じゃなかったら、どうすればいい?」

 男の顔はあきれていた。そして女を苦々しく見返し、

「文字を読める子供はそんなに珍しくもない。本当にこいつがただ者じゃないか、証明できるのか?」
「いいよ。ね、君、ここのところ読んでみて」

 彼女の指差した文字列は、中級くらいの呪文だった。修行してないボクには使えないけど、

「お姉さん、これ攻撃呪文だね。ここで詠唱したら、この店ぐらい簡単に吹っ飛んじゃうけど、ひょっとしてボクに使わせたいの?」

 ボク以外の三人は顔色を変えた。

「おい、その魔導書、大人でも意味わかるやつはそういないぞ。こいつ何なんだ、オヤジ」
「いえ、カインっていって、ただの近所の子供です。近所の家の子で、食い詰めてるって言うからうちであずかって雇ってるだけで、のはずなんですが………」
「じゃあカイン君、店が終わったら私たちの宿に来てくれない?聞いてみたいことがあるの」

彼女の言葉に、大人の男二人がボクをしぶい顔で見る。
 その女、さっきサーラと呼ばれてた、そのサーラは荷物入れから紙を出し、携帯羽ペンでさらさらと何か書き始めた。

「何してんだサーラ、また何か妙な考え起こしたんじゃ」

 男の文句を無視して、サーラはボクにそのメモ紙を渡す。そこには街の西側にある宿屋の名と、彼らの部屋番号が記されていた。二人のだろう、名前もある。

 サーラと、ファルカス。

「親方さんが心配するから、本当に空いてる時おいで。町の案内なんかも、くわしく詳しく教えてほしいし」

 それを聞いて、サーラの本当に言いたいことはすぐわかった。
 面白そうだ。乗ってみよう。

「マスター、よろしいでしょうか。しばらくお暇をいただいて」
「まあ、そこまで言われたらしょうがない。一日やる。それだけだぞ、カイン」
「ありがとうございます」

 その時、かすかだが客の男、ファルカスの目も光った。
 こいつら、ただの冒険者じゃないみたい。

二

 誘われたその日の晩、ボクは彼らの宿へすぐには行かなかった。
 マスターに言われたんだ。明日行ってもいいけどその分よけいに仕事しろ、と。
 しかたなくボクは遅くまで働いて、二日分の洗い物や道具のメンテナンスを済ました。
 おかげで当日、目が覚めたのは昼前だった。

 宿に着き、メモに書いてあった番号のドアを開けると、確かに二人の冒険者がそこにいた。
 そして青い髪をたたえた、サーラとかいう女性がゆっくり椅子から立ち上がる。

「よく来てくれたね。ありがとう」
「ということは、やはり図書館ですか」

 ファルカスからのあいさつを待たず、ボクは切り出した。

「事情はすべてお見通し、か」

 ファルカスが怪訝な顔で、独り言のようにつぶやく。続いてサーラが、

「そう、私たちはこの街の大図書館に行きたいの。でも、門番もいないのに、何でかあそこに入れない」
「門は鍵かけたままで、びくともしやがらない。裏門も、ガラス窓も、隠し扉まで一切なしだ」
「それに建物全体に魔法がかけてあるみたいで、あらゆる種類のアンロックを試みてもダメだったよ」

 ボクは二人の向かいにある椅子に座り、冒険者たちを見た。そして、

「知ってるんでしょ、お二人は。なぜ、あの館に入れないのか」

 図星をつかれたのか、二人は黙る。少しして、サーラがまじめな顔で答えた。

「うん、詳しくはわからないけど、図書館に入れないのは『知識ギルド』の仕業ね」

 やっぱりそう来たか。絶対、ただの旅人じゃない。それなら、

「知識ギルドは、この街にある本や新聞とか、文字の書いてある紙なら何でも収集し管理する、変態の集団です」

 ボクの答えに、エールを飲んでいるファルカスが吹き出した。

「おい、何か変なやつらみたいだって思ったけど、変態ってどういうことだ。何かこう、すごいことでもやってるのか」

 男の向うずねに、サーラのかかとがクリティカル・ヒットした。でもファルカスは声をあげない。

「変態というのは、ボクから見て、ということです。だいたい『知識ギルド』って呼び名も、この街にある他のギルドが勝手に見下して言ってるだけですから。自分たちだっておんなじような事してるくせに」
「じゃあ、あなたも知識ギルドではないのね。魔術師ギルドとかに?」

 女の詮索には付き合うな、そんなマスターの口ぐせをボクは無視する。

「ボクはどこのギルドにも属しません。しいて言うなら、理髪店の弟子です」
「にしてはサーラの魔導書、すらすら読んでたろう」
「それは、単なる身に付けるべき教養です。ボクは将来、医者になりたいんです」
「「医者!」!」

 二人の驚く声が重なった。予想通りだ。
 けど、二人の顔色はすぐ元に戻る。やっぱりこの人たち、ただものじゃない。

「私も魔法医だから、あなたが魔法を読めること自体は不思議に思わないけど……」

 そんなんだと思った。そしてボクは、サーラの言葉をさえぎる。

「どうして学校に行かず、床屋なんかの弟子をやってるのか、って聞きたいんでしょ?」
「そう。魔法が使えないとか、そういうわけ?」
「いいえ、」ボクはすぐに言うべき言葉を頭の中から引っぱり出す、「白魔術の治癒はぶっちゃけ、かける相手に術者のものじゃないエネルギーを与えることですよね」

 予想してない質問だったらしく、サーラは少し考えた。

「まあ、そうね。人は人そのものの持つ力を使って病人やケガ人をすぐに治すことはできないから、神さまと契約してご加護を賜り、治していただくのが白魔術。その治す細かい仕組みまでは私にもよくわからなくて、それ書いてある本を探すのも、私が旅してる目的の一つよ」
「そうだったのか?」

 ファルカスのまぬけなつぶやきを、サーラは無視する。

「ボクの考えだと、神さまが直接治してるとかいうんじゃなく、神さまがケガとかした相手に人間が生み出せない類のエネルギーを与えているだけだと思います。そして、人の自分で体を治そうという力そのものを高める、というのが本当のとこなんじゃないか、って」
「ええ、よく考えてみれば、どんなケガや病気も同じ治癒魔法で治ってしまうって、そう考えてみたら不自然ね。一口にケガといってもいろんな場所があるし、頭痛と骨折じゃ仕組みもちがうし。神さまがそれらを治せるのは、あの方がすべてをご存知だから、って、私の考えだとそうなるみたい」
「だから、ボクはこれから医者を志す者の心得として、まず人間の体の仕組みを知りたいんです。それぞれの病巣を根本から治すために。そうするには切開手術も必要になりますし、それには刃物をあつかうことができないといけません」

 そのときファルカスが、無言でボクに顔を向ける。

 鋭い目だ。

「それで髪切り店さんにもぐりこんでレザーやハサミ、つまり刃物の使い方を覚えてるの?」
「そのとおりですサーラさん。実際、理髪店でケガを治しているところもあるらしいんです。もっともそれは、客に誤ってケガさせた時だけだ、って話もあります」
「刃物使えたっていいことばかりじゃないぞ、坊主」

 笑うところだろ今の話は。
 でも自然にボクの目は、ファルカスの腰に下がる長剣に行った。

「大丈夫ですよ。ボクには力がないんで、兵隊や化け物に振るう剣なんて持てません」

 われながら少し、言い訳がましいか。

三

「ところで、知識ギルドのやつらがどうして変態なんだ?俺はそっちの話が聞きたい」
「ファル!」

 女が男をにらみつける。このまま放置してどうなるか見たい気もするけど、ボクは続けた。

「連中は、文字で書かれた知識を自分たちだけのモノにしてしまいたいんですよ。壁面の印号だろうと、文字を刻んだ粘土板だろうと、至高秘術の写本だろうと。一番変なのは、向かいの店の領収書とか、新装開店セールのチラシさえも集めてるみたいなんです。本当に、そんなの集めて何に使うの、って思うんですけど、どうも本人たちは必死みたいで」
「なるほど、それで変態………でも、どうしてそんなことするんだ?」

 ファルカスの驚いた顔は、そのままボクがやつらに最初抱いた印象だ。

「何でもやつらは世界中の印刷物、文字が書かれたものを、手に入る限り集めないと気がすまないみたいです。『言霊』ってご存知です?」
「「いいや」」

 二人はハモった。

「言葉には命が宿る、というのは聞いたことあるでしょう。あいつらは、文字の書かれたすべての物体、印刷物にさえも力、人から与えられた魔力でなくて力そのものがある、それが言霊だ、って信じてて、当たるを幸い片っぱしから集めてます。その理屈がまた、飛んでるんです」

 ここでようやく、二人の目の色が変わってきた。
 予想より喰い付きが遅かったか。

「例えば食堂の注文伝票がありますよね。鳥の丸焼きと書くでしょう。するとやつらにはその、鳥の丸焼きと書いただけの文字列が、鳥の丸焼きと同じ価値を持っていると言うんです」

 ファルカスが自分の脳天をくるくると指でなぞる。一方、サーラは真剣な目で、

「図書館に入れないのも、その人たちの仕業?」
「そうも言えますが、厳密には外から入れないというより紙に書かれた言霊の力、まあわかりやすく魔力としましょう、その本の魔力が自分で外に逃げ出すのを恐れて、やつらは結界を張ってるらしいんです。人が入れないのは、その副作用かもしれません」
「ということは、二束三文ばかりかも知れないけど、中にはとんでもない本が隠れてることもあるわけね?」
「ええ、可能性はあります」

 ここでファルカスの顔が少しだけゆるみ、

「ということはサーラが探してる本も、そんでもってお宝なんか入ってたりもするってことだな」

 ボクもかすかに含んだ笑みを作り、

「それはどうでしょう。お宝、大事なもの、そういうのは一人ひとり違うんじゃないですか?あそこ、大図書館みたいなとこに行けば必ず見つかる、そうとは限りませんよ」

四

 いろいろ話すうち夕どきになり、ボクらは食事を取るついでに下見もしておこうと、件の大図書館近くにあるカフェに入った。その店は外にも席があったので、都合がよかった。
 そして表はまだ明るく、人通りも少ない。これも好都合だ。
 お腹が空いてたのかファルカスはたくさんのプレートを注文し、ボクとサーラはそれぞれ一品だけ頼んだ。

「金はオレたちが出すんだから食ってもいいだろう」

 それがファルカスの言い分だ。
 食事を待つ間、ボクらはそれとなく大図書館をチラ見しながら小さく話し合った。

「あの図書館、門番はいないみたいだけど、利用者や司書の人とかって出入りしてる?」

 サーラがエールの入ったタムブラを口に運びながら訊く。

「基本あそこの中には人っ子一人いません。利用者が出入りしてるかすらわかりません。ただ黄昏どき、知識ギルドの連中が門の前に来たと思ったら、いつのまにか消えてた、という噂はあります。それは尾ひれの類でしょうけど、目立たないよう知識ギルドの連中が利用していることはほぼ間違いないでしょう」
「となると、はちあわせたら厄介だな」

 空腹でいらだってるのか、ファルカスの言い方は荒かった。
 一応、付け加えとく。

「でも連中は、夜になってから出入りしたりはしないと思いますよ。別に秘密結社でもないし、『知識ギルド』だけに構成員のほとんどは知識人、地位も名誉もある人間ですから、日が沈んだ後に不穏な動きなんかできません」
「そうか。そしたら夜にこっそり忍び込むしかなさそうだな。しかし無人だと、サーラのあの技は使えない。利用者が多けりゃ、人影に紛れ込むって手があるから都合がよかったんだが」
「仕方ないよ。結界が門番代わりだから、中も魔法の仕掛けがメインだろうね。それだったら意味ないし」

 この二人、なに話してんだ?まあおおかた、向こうの都合だろう。
 そしてサーラはボクに向き直り、

「でさ、さっき前にした話からすると、図書館の中に侵入者用のトラップを仕掛けてるんじゃないか、って私ちょっと思ったんだけど、内側から結界を張ってるんだったらそんな必要ないよね」
「どうでしょうか。もしあの連中が嘘をついてないんなら、結界を解いたとたん本が魔物に変化して、トラップ代わりに襲ってくる、ということもありえませんか?」
「可能性としてはそうだけど、カイン君、もし本の魔物が本当にいるとしたら、まず中央の連中がすっ飛んでくるよ」
「どうしてです?」

 と、ここで食事がきて、話は止まった。
 ファルカスは料理を見るなり、せわしなく腹におさめ始めた。そして口に物を入れたまま、

「とにかく、魔法のトラップならばサーラ、力まかせの罠なら俺が止める。こんな手はずでいいだろう」

 言うことまで力まかせだ、このおっさん。

「よく考えてくださいファルカスさん。やつらは侵入者を排除するためだけに結界を張ってはいないんですよ。あくまで表向きは、魔力を持つ本の暴走を止めるためです。結界を解いたとして、中でわれわれの魔法が使える保障はないんです」
「ちょっと待て、話が通ってない。何だその理屈は」

 ファルカスの横槍に、サーラが少し珍しそうな顔をする。

「さっきお前は」
「カイン君だって」

 サーラが厳しい顔でファルカスに突っ込んだ。

「…カインはさっき、結界を解いたら本の魔法が暴れ出すかも、て言ってたな。じゃあ何で俺たちの魔力が打ち消されて、本の魔力は働く、って思うんだ?」
「働くのは本に『宿る』魔力、なんです。攻撃魔法なんか使うときは、われわれの内から外に魔力を発しなきゃいけないでしょう、そういうのが打ち消されるかもしれないんです」
「とすると、やっかいね……使えるのが防御魔法とかいうのだけ、とすれば、こちらは防戦一方、向こうは結界関係なしに攻めてくる、時間がかかり過ぎたらこっちに分がないかな。私が剣をファル並みに使えれば勝算はあるかも、でもさっき聞いた感じじゃダメか」

「あ」

 ボクが思わずもらすと、二人の真剣な目が突き刺さった。

「今のは例えば、の話です。本に魔力が宿っていたら、その魔力で本が化け物になったら、という前提で。もし知識ギルドが噂どおり本当の嘘つき集団だったら、いま言ったような苦労はする必要ありません」
「なーんだ」

 サーラの顔から力が抜け、手をつけてなかったサラダを口の中に押し込む。
 ファルカスはもう食べ終わっていた。でも顔は怒っている。

「いいかげんにしろよこのガ……カイン、警戒するのは当たり前だが、怖がりすぎて何も手を打たないと、前に進めんぞ」
「それはそうです。でも、実際トラップがないにしても、警戒はするに越したことはないでしょう」

 ときどきボクは、人から見てやたら理屈っぽくなる時があるようだ。話してるとよく他人に注意されるし、指摘がなくても相手の顔を見るとわかる。
 でもこの二人、そうわずらわしい顔はしてないみたいだ。

「まあそうね。さっき聞いた話じゃ結界を解くこと自体は簡単そうだから、トラップがあるかも、って心構えくらいはしておいてよさそう」
「そうだな、そのラインで行こう。詰めの話はまた後ということで、もうここにいてもしかたがない。行こう」

 彼がそう言ったのは、サーラが食事を終えた直後だった。
 何だかんだで気が合ってるな、あの二人。

五

 それからしばらくボクは店の仕事で忙しく、一週間は空けられなかった。でも例の二人は他にすることがあったのか、日に一回顔を出しては話をしたが、動けないボクを攻めることは決してなかった。
 話といっても、侵入する日にちを折衝するぐらいで、具体的にどんなやり方で罠に対応するとか、そういう話はなかった。
 ひょっとして向こうはそんなの、とっくに心得てたりするのか。
 ボクにしてもそんなこと明るくないから、話すだけムダなんだろう。
 ともかく、彼らと逢って一週間後の晩、ボクらは大図書館攻めを決行した。

「そうだ、カイン君への成功報酬はどうしよう」

 図書館前の物かげにひそんでいる時、ぽつりとサーラが言った。

「あ、そういえば考えてないな、図書館に忍び込むことばかりに気を取られてて。やっぱり現金か?」
「それはですね」

 ボクは用意した答えを言う。

「あなた方の欲しがってる本のほかに、ボクから見て何か価値のありそうな本をピックアップします」
「それでいいのかよ。泥棒の分け前じゃないんだから」

 ファルカスが不満げに言うと、

「物を見る目だけはやつらと同じだから、ボクが選べばそれなりのものが見つかるはずです」
「いや、俺は単に盗品はダメだと」

 何かが近づく。反射的にファルカスが柄を握るが、ただの野良犬だった。

「あの犬もあやつられた見張り、ってこともあるね」

 サーラさん、本の読み過ぎだって。一応、安心はさせておく。

「そのあたりは大丈夫でしょう。基本的に、知識ギルドの人間はそこまで魔法に懲りませんし、自分でも使えるかどうか。結界を張るのもたぶん、外の魔導師に依頼したのでしょう」
「それを先に言ってよ。よその魔法使いがやったのなら、なおさら結界の解き方考えなきゃ」

 そのうち月明かりが途絶え、ボクらは図書館の玄関に取り付いた。
 見張りの陰すらなく、サーラはドアにベタッとへばりつき、調べはじめる。

「できそうか?さっき何かヤバそうなこと言ってたが」
「大丈夫。はじめに思ったとおり、そんな複雑じゃなかった。玄関の一点突破で余裕」
「気をつけてください。可能性が薄いとはいえ、本の魔力が出て襲われるかも」
「大丈夫だって」

 サーラはボクの情報を元にしたのか、何やら複雑なアンロックの呪文を唱え、軽々と術を完成させた。
 重そうな扉が音もなく開く。サーラはさらにディテクト・マジックの類をかけたらしく、

「ここには罠はなさそう。行こう」

 とすたすた入っていくので、ボクとファルカスはあわてて後を追った。

「待てよサーラ警戒心なさすぎだぞ。いくら知識に長けてても、お前は空を読めない」
「空?」

 聞かない単語にボクが思わず漏らすと、

「ファル…ファルカスが旅先で覚えたことばよ。気に入ると、使いたがるんだから」
「だから待て。ガキを出汁にしてとぼけるんじゃない、その先に…」
「何もないじゃない」

 入るとすぐにカウンターがあり、その後ろに本棚の行列が見えた。
 広いフロアーに書架がきれいに行列を作っており、また壁という壁がことごとく本棚で埋められている。
 もちろんそれらの書架には、ぎっしり本が詰まっていた。
 そんな光景が貴族の大邸宅レベルで広がってる。まさしく、大図書館だ。
 ボクも中を見るのは、初めてだ。

「私はライト唱えるけど、分かれて調べるならファルはたいまつ点けてくれない?」
「オレもライト使うぞ」
「いざという時のため魔力を温存するの。持ってきてるよね?」
「こいつに持たせるよ。もし何かあったら」
「子供に火を持たせる気?何があると思うここに?」

 やっぱりボクも信用されてないみたい。しかたないけど。

「それじゃボク、ドア閉めてきますね。明かりが点いたら外から怪しまれます」

 ボクが駆け出すのと、サーラがライトの呪文を唱えるのは同時だった。

 しかしすぐ、

「カイン君言っちゃだめ!すぐ戻って!」

 サーラの悲鳴に似た声が、瞬時にボクの足を縛った。
 そして風がボクの肩をかすめ、次の瞬間ボクの体を何ものかがつかんだ。

 まさか、ホントに化け物?!

 しかしそれは人の温かさと、嗅いだことのある革の匂いを発していた。
 ファルカスがボクを覆い、守っているのだ。

「サーラは?!」
「いま結界を張りに玄関へ行った。やっぱりこの中じゃ、魔法が効かないようだ」

 化け物の話、まんざら嘘じゃなかったんだ。
 そう思った時サーラの、本物の悲鳴がひびいた。

六

 サーラの走った方へ向かっていると、ドア越しにそそがれていた月明かりが消えた。
 いましがた、ドアが閉じられたんだ。
 ファルカスがたいまつをともし、ドアに至るとその下でサーラが倒れていた。

「サーラ!」

 彼はたいまつを取り落とし、サーラに駆け寄る。ボクはあわてて足元の明かりを拾った。
 見ると、サーラはふくらはぎにすり傷を負っただけなのに、その顔は青ざめている。

「どうしてかな。ディテクトマジックかけた時、気づけばよかった」
「つまり、魔法自体がかからなかったのを、魔力を帯びたものがまったくない、と思い込んだ訳ですね」

 そう言うボクに、ファルカスの必死な目が突き刺さる。

「なに冷静に謎解きやってんだ!ケガの手当てが先だろう!たいまつ近づけろよ!」
「はい」

 ファルカスは自分の袖を破きにかかる。
 ボクは何気なくサーラに近づき、たいまつをファルカスにぽんと渡した。
 そしてポケットから、ガーゼと包帯、そして小瓶を取り出す。

「おい、それ…」

 ファルカスは怒った顔を見せたけど、すぐたいまつを傷口に寄せた。
 その明かりのもと、ボクはスムースに処置を進める。

「大丈夫です。本当に、かすり傷だけです。毒も入ってないようですし。でも念のため、帰ったらうちの床屋に寄ってきちんと消毒を受けてください。万一傷が悪くなると、重い病になってしまうんで。………あ、外に出てから白魔法を使えばいいことですね」

 冒険者コンビはあ然とボクの顔を見た。

「その瓶の中身は?アルコールなの?」
「液体はアルコールですが、正確には防腐作用を持つ鉱石の成分をアルコールで抽出した、新しいタイプの消毒液です」
「この街にはそんなものも売ってるのか?」
「どこにも売ってないです。以前読んだ本を参考に、ボクが考えて作ったんです」

 二人の目がさらに見開かれる。ちょっとだけ、いい気分だ。

「お前、ホントに医者だったのか?そんなもの、いつも用意してるって?」
「ボクはあくまで床屋の弟子で、医者としてはたまご、いや種ほどでしかありません。それにこんなことは、お二人も少し気合を入れればわけなくやれます」
「オレも自分のケガは治すぞ」
「ファルは傷口をしばるだけじゃない。後のことなんか考えなくて」

 そしてサーラはボクを見た。

「ごめんなさい。うかつだった。でも結界を張りなおしたから、化け物が外に出る恐れはなくなったよ」
「とういと、やっぱり化け物が出たのか?」
「ううん。そう決まった訳じゃないけど、詠唱している私を体当たりで倒せるほど、ネズミって大きいのかな?人の大きさじゃあ、なかった」

 ファルカスは厳しい顔で柄に手をかけ、

「どっちに逃げた?」
「いえ、今は何もないからとりあえず様子を見て、その間にここの本を調べてみましょう。そうすれば対処の仕方がわかるかもしれないし。でもよかった。カイン君が医者の目を持ってて」
「どうしてだ。たかがかすり傷で」
「これから私たち、ここにしばらく閉じこもりきりだよ。結界をいじったらまた邪魔されそうだし、下手すると化け物が街に逃げ出すかも。それに、ケガしてもわたしの治療魔法はまず使えないよ?」

 ファルカスはたいまつを落としそうになり、またボクを怪訝な目で見た。

「ということらしい。当てにはできんが、やれることは頼む」

七

 ボクらはなるべく固まって移動し、入り口から一番手前の本棚に至った。
 見てみると、手当たり次第に集めてるだけあって、ジャンルがまるでばらばらだ。

「となると、とにかくこのあたりで『退魔』とか『抗魔』とかキーワードのついてる本を探してみようよ」
「何で」
「ここの本が知識ギルドの人間を襲ったらシャレにならないよ。入り口近くにそいつら抑える本を、必ず用意してあるはず」

 そうか、これが経験値の差なんだ。
 そしてしばらく魔物らしき存在は襲ってこず、ボクらは丹念に書架を調べることが出来た。
 でもボクらが掘り出したのは一冊だけ、それはいろんな魔法陣のパターンが描いてある本だった。

「探してる本はなさそうだな。まあ『知識ギルド』ってぐらいだから、化け物抑える方法はそらで知ってて当然か。でも」

 ファルカスはそう吐き捨て、ボクの手にある本を見た。

「こんなものが役に立つのか?」
「大ざっぱな話ね、魔法陣にも攻撃的なのと補助的なものがあるよ。ここでは退魔に使う陣が役に立つみたい」
「退魔の陣はただ中にいるだけでも、よこしまな魔力を寄せ付けません。ですから、ボクたちがこの中にいれば安全なはずです」

 双方向からの説明に渋い顔をしつつ、

「つまり、安全地帯ってことだな。連中が来たらまずオレが出張って、まずくなったら引っ込めばいい、か。でも重い傷を受けたらどうする。サーラの治療魔法はダメだし、カインはまだ医者の種だから、出来ることに限りがあるんじゃ?」

 答えるより先に、サーラは床に落ちていた木の棒を拾った。そしてボクが差し出した本を受け取り、床を棒の先でけずりはじめる。
 彼女が陣を構成しているあいだ、ボクも頭を働かせた。

「その本によるとたぶん、陣の中では魔法が使えます。もちろんこんな状況ですから強くは働かないかもしれませんが、それとボクの手当ての二段構えでやれば何とかなるのではと」

 がりっ、と音がした。見ると、サーラの手元が狂ったようだ。
 ファルカスもそちらを見て、視線を戻すと、

「経験はあるのか」
「そもそも魔法の使えない場所なんて、ただでさえ危険過ぎです。ボクでも行こうと思いません。……けど理屈では、たぶんやれます」
「度胸はあるようだな。何ごとも、神経太けれゃ結構うまくいくもんだ。その言葉、期待していいな?」

 ボクはうなづいた。汗が流れる。

「終わった」

 そのサーラの言葉で、ファルカスはボクの腕をつかみ陣へ飛び込んだ。はずみでお尻を強く打ってしまう。少し、というか結構痛い。
 次の瞬間、陣の端から見えないオーラみたいなものが湧き上がり、ボクたちを包んだような気がした。
 サーラがボクの顔をチラと見て、それからファルカスに、

「ファル、優しくしてあげて。相手は子供なんだから」
「こいつは自分でやるって言ってんだ。特別扱いはしない」

 ボクはちょっと痛いお尻をさすり、

「いいんですよ。これくらい別に」
「よくないよ」

 サーラが真顔で、ボクのお尻に手をかざした。触れてるわけじゃないけど、何か恥ずかしい。

「ちょっと待ってね」

 彼女は小さく詠唱する。
 暖かいものを感じ、それから痛みが消えた。

「魔法、使えましたね………」

 照れ隠しでボクはそう言い、彼女に笑みを作った。

「お前も少しは、使えそうじゃないか」

 ファルカスもほほ笑む。一瞬わからなかったけど、ボクの考えが当たったってことかな。

「よし、これで態勢は整った……で、どうしよう?」
「まだどんな化け物かわからないからね……」
「………試しに、陣から出てみませんか?」

 二人が驚いた顔でボクを見た。また汗が出る。

「トラップみたいなのかも知れません。アクションを起こしたら出てくるたぐいの」
「俺が出て調べろ、ってか?」
「当たり前でしょ、ファル」

 サーラがその背を蹴りかけ、しかたない顔でファルカスはポンと出てった。

 何も起きない。
 でもすぐに彼は剣を構えた。陣の中では気配を感じないが、見えてるみたい。

「いる?」
「わからん。でもいるんだろうし、来そうな感じが」

 本棚の向こうで、ごとりと音がした。

「カイン君、構えて!」

 サーラのことばで訳もわからず腰を落とすと、何かにはね飛ばされる感じがした。
 そして体がつかまれる。またファルカスのにおいだ。

「ちょっと、逃げるなら場所考えてよ。治す相手が違ってくるじゃない」

 サーラが声を張り上げると、ファルカスは切羽詰った顔で、

「バカ、見ろ」

 ボクも彼の指さす先を、抱えられたまま見る。

 大木も切れるぐらいの大きな鎌が、陣の手前で浮いていた。
 まるで、見えない壁に突き当たっているように。
 その目の前が、なぜか赤く染まった。そして鉄のようなにおいが、鼻の中に

『うあーーーーーーーっ!』




八

 気が付くと、二人がボクをのぞきこんでいた。
 寝てたんだ。ここはどこ?

「すまん。お前守るのに手いっぱいで、血をぶちまけちまった」
「血?」

 ボクの背に氷の感触が走り、我知らず頬に手をやる。

「大丈夫、あなたのじゃないから。それに彼、こんなの慣れてるし」

 ボクは飛び起きてファルカスを見た。その右腕が、痛々しく腫れている。

「この中でもやっぱり、魔力が弱まるみたい。せいいっぱいでこの程度」
「………あ、そうか………」

 記憶が飛ぶ前の状況を、ここでやっと思い出した。
 あの鮮血は、彼の右腕から出てたんだ。
 そして治療魔法も、やっぱりうまく働いてないみたい。

「すみません。ボクが軽はずみに、出て、なんて言って」
「気にすんな、どっちにしろ俺が出てる。それよりお前は大丈夫か?」
「ええ、すみません。また、かばってもらって」
「やっと子供らしいこと言ったな」

 顔は笑ってないけど、笑ってるみたいだ。
 その見えない笑みを打ち消し、ファルカスは毅然と前をにらんだ。
 そこではまだ、鎌だけの化け物が見えない障壁に刃を立てている。

「こっちの魔法はダメなのに、向こうは容赦なし、って訳か」

 そう吐き捨てて、

「少し下がれ」

 ファルカスは手にした大剣をひと振るいすると、ゆっくり大鎌に近寄った。
 ボクの隣で、サーラも少し緊張して見ている。
 そして彼は、鎌と競り合うように自分の刃を合わせ、

「せっ」

 の一言ですばやく陣の外に出た。
 それから先の動きは目でとらえきれず、気づいた時は、刃のこぼれた鎌が陣の手前に転がっていた。
 その鎌には奥へ伸びるヒモみたいなのがついていて、彼はその先を追う。

「気をつけて!」サーラの注意が飛ぶ、「他にいないって限らないよ!」

 ファルカスは平気でそこらを歩き回り、陣の中に戻った彼はヒモの出どころを握っていた。
 それは一冊の本から、ページとページの間から伸びていた。

「ということは、カイン先生の心配がまた正しかったようだ」
「茶化さないでファル。でもこれはまずいよね。ひょっとして、ここにある本全部が仕込まれた化け物かも」
「いえ、さっきの陣形を描いた本みたいなのがあることを考えると、全部ではないでしょう。ただ、何に封じたか本に符丁のようなものが書いてあるとしたら、表題から見てそれらしいのと、らしくないのと両方に半々は仕込んでいそうな」
「まあ、普通に考えるならだけど……ただ、それ探すとなると危ないし、時間もないよ。朝になったら誰か入ってくるかも」
「結局、力押ししかないか。両先生方、バックアップは頼んます」

 と言って、ファルカスはまたポンと出た。
 ほどなく何か、蠢くような音がかすかに響く。
 次の瞬間、まるでイノシシの罠みたいな歯を生やした本が、彼めがけて飛んできた。
 ファルカスの剣がまっすぐ降りる。
 歯は硬い鉄みたいだけど、歯の間にうまく差し入れた剣先が、本の背を真っ二つにした。
 しかし、すぐにまた鎌が来る。歯を持つ罠や、他にも武器の形を孕んだ本が彼の生身をねらう。
 そのほとんどは剣ではじき飛ばされる。が、彼の右足に一対の歯が食い込んだ。

「いっ」

 とだけ叫んで彼は本の背を裂いた。右足からどくどくと血が垂れ、陣の中に少し流れ




「気をしっかり持って!あなたが傷口を固めるの」

 サーラの声で正気に戻ったボクは、すぐガーゼを取り出す。
 それに消毒液をひたして、飛び込んだファルカスの右ももに包帯できつく巻きつけた。
 すかさずサーラが詠唱。たしかに御加護の光が弱い。
 でも、さっきの右腕よりは治りが早かった。

「ちくしょう、右腕が動かなかった。やっぱり魔法だけじゃダメか」
「ごめんねファル、こんな役回りさせちゃって」
「すみません、ボクもがんばります」
「坊主、こういうときは『がんばります』じゃねえよ」

 ファルカスのとぼけた声に気が抜け、

「じゃあ何て言えば?」
「『やれるだけやってみる』だ。いくらがんばっても、できないこと、無理なことはやれやしない」
「………はい!」

 少し、気が楽になった。
 そのとき大きな音がして、向こうの方の本棚が倒れるのが見えた。
 いや、

  どささささささささささささささささささささささ

 本棚が倒れたんじゃなくて、
 その本棚にしまってある本が、自力で一気に抜け出たんだ。
 陣のすぐ外も、もう本だらけだった。

九

 そのあと、ボクたちのしたことといったら、ひたすら消耗だった。
 とにかくファルカスが外に出て、魔物と化した本の攻撃を避けながら本を探す。
 本の魔物は激しく彼を痛めつけ、書架から抜いた本がまた化け物だったりして、まともな本を探すのは難儀だった。
 サーラも戦闘経験はあるみたいだけど、魔法抜きで外の連中には太刀打ちできないっぽいし、そのうえ魔法陣の中でも弱い魔力しか使えない。それに彼女がケガすれば、さらに魔力が落ちる。
 ボクならもっと簡単。陣から出れば、命はまずない。
 そんな状況でも、ファルカスは二回出るごとに一冊は本を持ち返った。その時はサーラとボクとで、全力で解析にかかる。
 もちろん彼がケガをしたときは、これも二人がかりで治療に当たった。

「やけにしみるな。その薬、何か変なものでも入ってるんじゃ?」

 ボクが傷口の消毒をするあいだ、痛みをまぎらすためかファルカスはつぶやいた。

「今はこうした方が、魔法だけで治すよりは早いし効果的みたいね」

 そう強調して、サーラは詠唱をはじめた。
 その間にボクは戦利品に目を通すが、

「またこれ、白魔法の本。たぶん、サーラさんはご存知のはずです」
「うん、昔この本で勉強したことあった」

 術を完成させたサーラが返すと、ファルカスは頭を掻く。

「持ってきた本、もう百冊は超えてるぞ。しかも、サーラがとうに知ってる白魔術の本がやたらある。ここって知識ギルドの連中が、廃寺院からの盗品を隠してるだけじゃないのか」
「いえ、だんだん様子が違ってきてます。奥の方から出た本の中に、魔法を使わないで傷を治す方法が載っているのもあります」
「どうして魔法の本に、魔法を使わないやり方が書いてあるんだ?」
「白魔法使いの魔力が無くなったとき使う、応急処置の仕方だと思う。でも確かに、こういう形でこういう本に載ってるって珍しいね」

 ボクらは陣の中でいろいろ考えるけど、何もできないならしょうがない。
 ケガの恢復を待って、ふたたびファルカスは外へ出ようとした。その時、

「待って」

 サーラのことばに、ボクもファルカスも振り向く。

「どうした」
「さっきから魔法の効き方が薄くなったみたい。いえ、じわじわと少しずつ、効かなくなってきてる」
「魔法無効化が強くなってるのか?出入りしてるからか俺にはわかりにくい」

 二人が話し合ってるあいだ、ボクも頭を働かせた。
 でも、はっきりした理由はわからない。
 それでもボクは言ってみた。

「たぶん、たぶんですが、結界とか魔法の力で魔法が封じられてるんじゃなくて、この建物にこもった『気(エーテル)』そのものに込められた力が、魔法を弱めてるんじゃないでしょうか?そうすると、連中が魔力を使えて、ボクたちが使えない理由も説明できます」
「そうか……ヤツらは本だから、息をしなくてすむ。『気』を体に取り込まなくて済むんで、それで魔力が使えると」
「……今日のファルって何か変。ここ出てから頭、治してあげなきゃね」

 めちゃくちゃな言われようだなこの男。
 でも、サーラがそんなこと言う、ホントの気持ちもわかる。

「すると、俺がその『気』を吸い込んだから、俺にかけられる魔法が弱まるのか……」
「他には、ファルカスさんが出入りする時その『気』が陣の中に入ってくるのか、『気』そのものが陣を破って入ってきてるのか、いずれにせよ、時間がありませんね」

 このままだと、三人とも本に食い殺される、そんな言葉をボクは飲み込んだ。
 でもそんなこと、二人はとっくにわかってるはず。
 顔をこわばらせ、すばやくファルカスは陣を出る。見送るサーラも同じ表情だ。
 そして、時間の問題がもう一つあることに、誰も気付いてなかった。

十

 陣の中に二百冊ほど本がたまったあたりで、体力と魔力を使う二人の疲れはピークに達したみたいだ。
 ボクも結構つらいけど、たぶん二人ほどじゃない。
 でも歳が上だからか、二人はボクにきつく当たることはなかった。
 もちろんボクも、文句なんか言わない。
 そして、たぶん二百一冊目の本を持って戻ったファルカスは、全身傷だらけの状態だった。
 体をボクの前に横たえ、手当てを受けながら息も絶え絶えにこう漏らす。

「ちくしょう、いったい俺たち、何のためこんなひどい目に遭ってんだ?」

 ボクたちは返さない。気をまぎらしてるだけだから。

 しかし、次の瞬間、

「なくなった……魔力が……」

 見ると確かに、詠唱を終えたサーラの手から癒しの光が見えない。

「カイン、陣のラインを描き直してくれ。俺が踏み荒らすから、効き目が薄くなってきたのかも」
「違う!」

 サーラの見せた態度が、今までと違った。

「私が魔力を使いきってしまったの!」

 取り乱した彼女を見て、ボクの頭から血の気が引いた。
 そして三人とも、陣の中で固まってしまう。
 サーラは何とか呼吸をととのえ、そして続けた。

「魔力が弱くなったからセーブしているつもりだったけど、無意識のうちに元の力を出そうとしてたみたい」

 ファルカスはサーラの青い顔を不安げにうかがい、

「どうする、お前が魔法を使えないとケガの治しようがない。こいつの応急措置も、魔法のようにすぐは効かん。もうこのやり方じゃ到底持たない」
「ではファルカスさんは、どうすればいいと考えてるんですか?」

 自分で策を出せないあせりを隠し、ボクは冷静をよそおって訊いた。するとファルカスは重い表情で、

「………ここに火をつける。本を燃やせば、やつらもまとめて倒せるかも」
「ファルカスさんそんな!盗品とはいえ、貴重な本が混じってるかもしれないんです!魔物になってる本も、もとはちゃんとした本です。それを全部燃やすだなんて無謀すぎます!」
「ファル、ここは街の中心よ、それに燃えやすいものがいっぱい詰まってるから、延焼したら大変なことになるって、そんなこともわからない!?」
「他にどんな手があるんだ!このまま殺されるよりマシじゃないか!」
「私たちだけじゃなく、街の人たちに何かあったらどうするつもり!しかたないじゃない本当は無断侵入した私たちが」
「落ち着いてください!!!」

 ありったけの体力を使って、ボクは大声を出した。

 一瞬だけ二人の目に暗い光がこもったけど、それはすぐ消えた。
 そしてボクは必死に頭を働かせ、

「おそらくこの中にい続ければ、さしあたって安全です。最悪、朝になって知識ギルドの人が来たら、咎められるかもしれませんがとりあえず助けてはくれるはずです。とにかく腰を据えて、打てる手を考えましょう」

 もちろんこの策は、ボクひとりがここに入った場合だけに有効なはずだ。よそ者の二人が、後からどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃない。
 でも、たかぶった二人を鎮めるため、こう言うしかなかった。
 すると二人とも、何とか固くした拳をゆるめた。
 しばらくして、ファルカスが荒い息のままボクを見る。ボクは反射的にビクつくが、

「お前、子供にしては妙に頭がキレるな。医者になりたい、って志があるにしても、だ。鍛えてもらってるのか?あんな床屋のオヤジじゃない、誰か他に」

 何だ、世間話か。
 この話をするのはちょっとイヤだけど、それでファルカスの気が済むならしかたない。
 サーラを見る。大量の本に向かい、その一冊一冊に目を通していた。
 でも一瞬、一瞬だけボクに瞳を向けた。
 『わたしも聞きたい』とでも言いたげに。
 それでボクは本の山に向かうのをやめ、ファルカスの相手をはじめた。

十一

「ボク実は、地主の息子なんです。ですから、普通の子供より勉強する機会はたくさんありました」
「あぁ?待てよおい」

 ファルカスはちょっと意外そうな顔をした。

「床屋の主人は確か、お前の家が食い詰めてる、って言ってたぞ。だから床屋なんぞに修行に来た、って思ったんだが」
「あの店で当たりがいいよう、本当の素性を隠してるんです。確かにボクの家は、学校に行くお金くらい充分あります。けど父は、ボクを諸侯付きの学者か家庭教師にしたがってて、医術を学べる外の私学には行かせてくれなかったんです」
「それはそうね。医術は魔法より下に見られてるから、世間では医学校なんか不信心者の行くところ、ってことになってる。ほとんど邪教扱いね」

 サーラが手を止めて、ファルカスに補足した。彼は黙ってうなづく。

「はじめはボクも、貴族の子息が行く学校に通ってました。でも父も母も平民なので肩身が狭くって、先生にはまともに相手してもらえませんでした。そのうえ成績だけはいいから、クラスメートにも嫌われてて。ずっと一人ぼっちでした。そのうち構内の図書館の存在を知って、そこの蔵書がすごかったんでそれをきっかけに、いろいろな知識を図書館の本から取り入れるようになりました。医術という学問があるのを知ったのもその時です。閉架書庫の奥の方で、まるで隠してあるように医学書が積んであったんで。それを見て、魔法に頼らないこんなやり方があるんだって知って、すごく興味を惹かれました。そして学校ばかりに頼らずしっかり学んで、いずれ医者になろうと考えたんです」
「その学校で教えてもらえばよかったのに。学科ぐらいあっただろ」
「ある訳ないでしょうそんなの。だから、外へ行きたい事が父に知れて反対されたんです」
「ああ、そういう順番」

 納得したみたいに言いながら、ファルカスは不機嫌な顔をする。わかってる。話がわかりにくいからだ。

「学校に白魔術のコマはありましたが、サーラさんの言うとおり医術なんて異端中の異端、校内で設立を唱える教師すらいません。図書館に本があったのも、何かの奇跡です。それに両親の頭が固すぎて、部屋で医術の本なんか見つかったら大変ですから、家でも学ぶ場がありませんでした」
「それで家を飛び出して、医術に関わりのある床屋に飛び込んだわけか」
「それもありますが、あるとき学校の図書館から医術関係の本がごっそりなくなってしまったのが大きかったんです。他の高度な本も一緒に消えてしまって、いっときは学内でも大騒ぎになりました。それが突然、ある日を境に問題にされなくなりました。ちょうど一年ぐらい前のことです」
「それひょっとすると、知識ギルドの仕業じゃないのか」

 ファルカスの目が光ったのを受けて、ボクは続ける。

「当然、その疑いは教師の口にものぼりました。けど、すぐに消えました。知識ギルドは非合法な集まりじゃないですから。さっきも言ったように、学校に影響力を持つ会員も少なくないですし」
「けど、たかが本が消えたからって、学校も家も飛び出す理由にならないだろう」
「早い遅いの問題です。あそこで教えてることは、しょせん貴族の道楽です。社会に出てまじめに働こうとする人間にとっては、ばかばかしいものでしかありません。教師が図書館のことを口にしなくなって、すぐ見切りを付けました。そんなやつらの教えを乞うても、面白いことないですから」
「なかなか言うじゃないか。でもそれで、よく床屋なんか行く気になったな。扱いは段違いだろうに」
「今の話から床屋とあそこの教師、どっちが偉いと思います?それに、ボクの成績にしか興味の持てない家の人にも、まったく未練はないです」
「なるほど、そういう覚悟ね」

 あっさり認めちまった。何かこの男も、そんな感じの選択をしたことがあるんだろう。いきさつは知らないけど、何となくわかる。

 そこでポン、と何かがはじけるような音がした。ファルカスは反射的に構えるが、それはサーラが本を閉じた音だった。
 厳しい顔だ。

「早くこの本を見つければよかった。それはしかたがないけどね。床のと同じ働きをする退魔陣が、本ごと持ち歩けるようこれに描きこんであるの。どうも知識ギルドの人たちは、この本を使って中を利用してるみたい」
「そうか。じゃあ二人で行ってくれ。俺はここで待ってた方がよさそうだ」

「いいえ」

 サーラは悲しげに首を振った。

「この本は一人用よ。それに、魔力の残ってない私が行ったら何かがあっても対処できない。行けるのは、まだ体力が十分にある……」
「まさか、カインに一人で行かせる気か!だったら俺が」
「危険なのは誰も同じ。だったら、ここの環境をより活用できる人がいいみたい」

 二人はじっとボクを見た。息が詰まる。けど、

「時間がない以上、選択の余地はないでしょう。やれることはやります」
「ごめんね。私もここで、本の分析をやってみる。何かできるなら、私たちも行くね」
「悪いな。俺もたいがいふがいない」

 ファルカスはそう言うと真剣な、しかし親しみのこもった顔になり、

「さっきは済まなかった、俺を落ち着かせてくれて。お前にどなられて、やっと頭に血がのぼってることに気付いた」
「いえ、それはボクも同じです」
「いやいや、お前は冷静だよ。とっさの考えがやけにするどい。体を鍛えればいい戦士になるはずだが、医者になりたいとはもったいない」
「体を治す人がいなきゃ、戦士も安心して戦えないよ」

 二人は見合ってほほえんだ。ホントにいいコンビだ。
 そしてサーラは笑顔のまま本を差し出す。手にすると、やけに重い。
 ファルカスからはたいまつを受け取り、すぐにボクは陣を飛び出した。
 何か言ってる時間はない。

十二

 はじめのうちは怖かったけど、確かに本の魔物はボクに近付けない。
 それに基本、見えてもいないようだ。この本の力、相当なものらしい。
 そしてサーラさんにああいわれた以上、がんばるしかない。必死に足を動かして、奥へ急ぐ。
 こういうところには大抵、奥へ行くほど重要な本がある。宝のありかと一緒だ。
 進みながら、本のページをめくる。何かヒントがあるはず。
 すると案の定、魔物とそうでない本との見分け方が書いてあった。
 本が魔物になった理屈も、ボクが考えた通りだった。
 魔法を使えない理由は少し違うけど、からくりは似たようなものだ。
 こうしていろいろなことがわかるごとに、少しずつ先へ進むのが楽になっていった。
 でも、奥へ行くほど魔物の量が多くなってくる。それだけ本がたくさんあるからだろう。
 おまけに恐ろしい姿のバリエーションまでやたら増えていた。まるで博物図鑑の図説から飛び出したみたいだ。
 手の中にある小さな魔法陣は、そんな化け物たちをいっさい寄せ付けない。よく出来てる。
 そして下へ続く階段に至る。この図書館は平屋だから、目指すお宝はたぶんそこだ。
 足を一歩下の段に下ろすたび、魔物の群がり方がすごくなった。
 結界がやぶられやしないか、肝が冷える。
 それでも途中までは普通に足を進めることができたのに、いきなりあるところでまったく先へ行けなくなった。
 まるで魔物どもが通せんぼしてるみたいに、厚いカーテンを築いていた。
 たいまつを魔物どものすき間にかざす。その奥には、本を満載した本棚が見えるだけだ。
 ここで立ち往生してたら、いずれたいまつが燃え尽きる。
 要らない本で火を継ごうにも、たいまつの先にくくりつける術をボクは知らない。
 ファルカスだったらそれ、何とかするんだろうな。そしてたぶん、サーラも。
 考えててもしょうがない。退魔陣のページを開き、強引に前へ突き出す。
 するとわずかに前へ進めたが、その時「しゅっ」と何かが耳元をかすめる感覚を覚えた。
 たいまつをかかげて目を凝らす。
 すると目の前に、とっても小さな本、いわゆる豆本が、蝶々のようにページをはばたかせていた。
 あの変態ども、こんなものまで集めてたんだ。
 それからだんだん頭が働かなくなり、首から下の汗腺が開きっぱな
 はばたくページの端に、歯のようなものが見
 首筋に痛みが走って、身をよじっ
 たいまつが手元からこぼれ
 あちこちに痛みを感
 歯が目の前



「大丈夫か、カイン!」

 その大声で正気が戻り、見上げるとファルカスの後ろ姿があった。
 その背や腕に傷はなく、群がる化け物に勇ましく剣をふるう。
 もう片方の手に、本らしきものを持って。
 ボクの手元にも、例の本はちゃんと納まってる。
 同じ本をサーラが見つけたんだ!
 ボクはとっさに、落としたたいまつに手を伸ばす。
 そこにはさっき陣に飛び込んだ、豆本の成れの果てが転がっていた。
 明かりを掲げるとまわりは化け物だらけで、やっぱりボクらに近寄れない。
 その見えない壁をファルカスの剣が貫き、本のバラバラ死体が量産される。一人用の退魔陣だから、こんなことができるんだ。
 でも一つだけ、どうにもわからない。

「ファルカスさんは、どうやって復活したんですか?!」

 ファルカスは三冊の本を間も置かずゴミに変えた後、

「サーラが見つけてくれたんだ!俺の魔力を白魔法に変換する方法をな!」
「ああ、そんな本があの中に。それで、サーラさんは今どうしてます?」
「向こうでのびてる!」

 のびてる?

「大丈夫なんですか?魔物にやられたとか?!」
「いいや!魔力ゼロで本の力を発動させたら、気力を全部持っていかれちまった!けど確実に生きてるから安心しろ!」

 陣の外から、本のはばたく音や不快な金切り声が聞こえてくる。
 気持ちは悪いけど、頭ははっきりしてきた。

 そして、やるべきことも。

「道を作ってください!奥に行きます!」
「奥に?何がある?!」
「化け物がこんな動きを見せてるってことは、たぶんヤツらをあやつる魔力の源があります!祭壇か、強い魔力を持った本か」
「本当か?!」
「わかりません!でも何もしないよりマシです!」

 ファルカスは何百冊目かの本をなぎ払い、

「わかった!やれるだけやってみよう!」

十三

 陣の外からボクらは見えないはずなのに、あれだけ化け物が群がっているということは、その先に何かがある証拠だ。
 でもそれは、そうかもしれないとボクが思ってるだけだ。
 それでもファルカスの言うとおり、やれることはやってみるしかない。
 ファルカスはボクがしたように本を掲げて歩みを進め、もう片方の手で剣を振るって、ひたすら障壁をはらった。
 ボクはファルカスの背中に取り付き、彼の脇下から本を突き出す。
 そうして化け物どもは次々と、ただの紙切れに成り果てる。
 自然と、二人の足は早まった。
 ボクらの背に、次々と本棚から本がこぼれる音が響く。
 しかしいくら進んでも、魔力を形作っていそうな仕掛けは見当たらない。
 結局、地下の書庫をひと回りしてしまった。大量の紙切れを背後に築いて。
 それでも化け物は湧いてくる。

「まったく本だらけだな。あやつる人間がどこかにいるならまだわかるが、ものの見事に怪しげな場所すらない」
「図書館に来る人の目的は本ですからね」

 ファルカスはボクに怪訝な目を向けた。

「その人その人によって求めるジャンルも、手にしたい本も違いますし」

 くだらん説明はいい、そう突っ込むつもりだろうか彼が口を開いた瞬間、

「あ!」

 ボクの頭の中で、何かがつながった。

「ここの蔵書で、普通は絶対手に入らない本を探してみませんか?」
「手に入らない本?そんなもの、図書館にあるのか」
「稀覯本ていって、どこの城や寺院に行っても置いてない古本があるんです。古すぎて残ってない、発行部数が極端に少ない、王や国から発禁を受けた、そんな理由で。そんなもの、よっぽど目の肥えた物好きでない限り手を伸ばしません。ボクならそこに、重要な秘密をはさみこみます」
「そうか、そういうものが」

 ファルカスの顔付きがまた変わった。何か、冷静になったような。

「じゃあ探してみよう。ただ俺にはお前の言う、その、キコウ本がどれかわからんから、本をみつくろうのはお前の仕事だ」
「それくらいなら」
「うかつに本を取るなよ。連中は近づいただけで襲ってくる。陣の中に入れちまったら、切り傷程度じゃすまんぞ」

 やっぱりファルカスだ、豆本の化け物を退治したのは。頭も力押しのクセに、細かい仕事をする。

「とにかく探すのはお前に任せる。まちがっても背表紙につられて手を出すな」

 それからボクらの歩みは、ずいぶんと遅くなった。
 だんだん外国語の本が多くなって、ボクがタイトルを確認するのに手間取るようになり、本が化けるとさらに時間を喰った。
 そいつを倒すのはファルカスだったが、例の本を抱えているのに傷を負うこともあった。
 やっぱり、きちんと地面に描いた陣よりは弱いみたい。
 そして傷の治療中、ボクは不思議に思った。

「あれ?確かさっき、ファルカスさんの魔力を白魔法に変えて傷を治した、とか言ってましたよね?それ使えませんか?」
「あの本の力を発動できたのは一回だけだ。それにサーラの助けも要った。この先そんな本があっても、たぶん俺一人じゃダメだ」
「そうか……サーラさんが恢復したとしても、間に合わないっぽいですね」

 こうして一つ一つ書架を潰していき、ちょうど地下蔵書室の真ん中あたりでボクは立ち止まった。

 そこには、こんなタイトルの本が並んでいた。

 魔法ヲ使ハズニ創傷ヲ塞ギカツ腐敗ヲ抑ヘル法
 体ヲ切ッテ骨ヲ断ツ法及ビ腫瘍ヲ取リ出ス法
 正シキ瀉血ノ行ヒ方
 ………

 医学書だ。

 しかも、盗まれた本そのものじゃないけど、あのとき学校の図書館から消えたのと、同じタイトルのものばかりだ。
 とにかくボクは中身を見たい一身で、本の背に指をかけた。

「バカ!本にさわるなと言ったろう!」

 誰かが何か言ってるけど、よくわからない。
 背の上部分を見ると、全然すれていない。虫にやられてなければ、それこそまっさら同然だ。
 迷わず書架から引き抜く。
 と、もう片方の手が例の本でふさがってる事に気付いた。これを手放したら、たちまち化け物の餌だ。
 一瞬考え、医学書を上にして陣形本に重ねた。
 そして医学書のページを開く。
 中に描いてある、リアルな図説が懐かしい。

「おい!来たぞ!」

 振り向くと、ファルカスはボクに向かって剣を下ろしていた。
 いや、

 ボクとファルカスの間で、一つ目玉の化け物が切り裂かれた。
 血のようなものが飛び散るが、すぐ消える。
 そして、

「あれ、どこいっちまった?」

 と、とぼけた声が聞こえた。
 気が付くと、あれだけボクたちに群がっていた化け物が、ごっそり姿を消していた。
 下を見たら、床一面によれよれの本が折り重なっている。

「どうやらそいつが鍵だったようだな」
「え?」

 よくわからない。

「こいつは俺の担当だ。本を貸せ」

 ファルカスはボクの手から本をひったくり、パラパラとページをめくった。
 この男、医学書なんて読めるのか、と思ったら案の定、厳しい顔で本を閉じた。
 それから他の本が並んだ棚に近づく。さっきの本を開いたまま手にしている。
 ボクでさえやっと読めるレベルなのにムリだ、そう言う間もなく彼は棚から五冊の本を引き抜いた。
 そしてファルカスは座り込み、代わる代わる六冊の本に目を通す。
 思いもよらない速さですべてのページを繰り終わると、

「やっぱりか………」
「わからなかったんですか」
「読めないこと前提にするな。だいたいのからくりはわかったが、詳しいことはサーラの手が必要だし、何より時間がない。ひとまずここを出よう」
「お宝は見つけなくていいんですか?」
「お宝?」

 ファルカスは不思議そうな顔をし、それからうすく笑みを浮かべ、

「それも出たらわかることだ。それより、早くサーラを拾おう」

 ファルカスの言葉はときどきわからないけど、自信ありまくりだからいいんだろう。
 そして立つ時、ファルカスがお宝として持っていたのは、棚から取った六冊の本だけだった。

 もう化け物はいないから、戻るのはわけなかった。サーラも無疵で、もう意識を取り戻していた。

「私もふがいなかったね。それより、見つかった?」
「何とか、見つかりそうだな」

 サーラの言葉もわからない。たぶん、持ってきたヤツを調べたらわかるんだろう。
 出口に着くと、図書館を内にふさぐ結界も完全に消えていた。ドアがスムースに開く。
 外を見ると、まだ夜は明けてない。それに誰もいない。
 助かった。
 そしてボクらは逃げるように図書館を出た。
 いや実際、逃げ出したんだけど。

十四

 誰にも気付かれないようこっそり宿に戻り、やっとそこでボクらは当たり前に息をした。
 そしてひととき休んで飲み食いし、それから総出で持ち帰った本を開いた。
 ファルカスは読み進めるごとに難しい顔をし、サーラの顔はなぜか暗く沈んでいく。
 そんな二人を見ながら、ボクもページをめくった。
 何でか知らないけど、学校で試験を受けてた時よりドキドキする。
 そしてみんながあらかた本に目を通すと、

「やっぱりだった」

 サーラが沈んだ表情のままつぶやく。

「ここにある本は、どれもたしかにただの医学書ね。魔法とは関係なさそう。けど、ものすごく進んだ医学書みたい。今ある医術の二十年先は軽く行ってる。私の経験だけから見て、今の白魔術を超える治療法もあったわ」

 そう言って開いてるページに目を落とし、

「だからかな。六冊の本のあちこちにたくさん書き込みがしてあってさ。それ読んでみるとたぶん、白魔法の立場を奪われるのを恐れた何者かが、世に広まるのを防ぐ目的で方々から盗んできたものみたい」

 ああ、それで顔が暗かったんだ。

「サーラさんが悪いわけじゃないですから、落ち込まないでください。逆に医術の方が今より発達していたら、ボクだって考えるようなことです。邪魔になる勢力を、つぶしたい、って」
「カイン君てえらいね。そんなこと、考えてもないのに」

 サーラさん、買いかぶりすぎだって。

「サーラはそんなとこ見てたのか。じゃあ、俺がわかったことを言う」

 ファルカスの言葉に、彼女の顔がひきしまる。

「俺が見たところ、この六冊の本にまるごと魔法の暗号が織り込んである」
「暗号?本を化け物に変えるたぐいの?」
「ただ一冊だけなら情報が重くなって、おそらく知識ギルドの連中でも解除に手間取る。お宝としても大事だから、扱いをまちがえて傷物にしたくないだろうし。逆にその一冊さえスクラップにすれば、後は素人でも大手を振って中をまわれる。それこそ宝の山だ」

 ファルカスは目を落とさずに本を開らき、

「ここの本全部の全ページにわたって、スペルが巧妙に隠してあるようだ。詳しくはわからんが、要は六冊全部そろって呪いのマジックアイテムになるってとこだな」

 あれ?

「じゃあそれなら、ボクは棚から一冊抜いただけなのに、何で化け物たちは一気に力を失ったんでしょう」
「考えられるのは、そいつのおかげだ」

 ファルカスは一冊の本を指さした。
 ボクとファルカスが持っていた、化け物を寄せ付けない力を持つ本だ。

「お前がこの医学書を開けるとき、その本を下に重ねてただろ?たぶんその本の力が、医学書の魔力を打ち消してしまった、そんなんじゃないか?」
「そうみたいね。知識ギルドの人たちも、そんなことになるって考えなかったかも」

 サーラはすごく感心した顔でうなずいた。
 その手を見たら、かすかな光を本に当てている。なるほど、ディテクト・マジックで確かめたんだ。

 でも。

「じゃあ結局のところ、お宝は見つからなかったんですか?」

 二人はなぜか不思議な顔をした。

「お前がどうしてそんなこと気にする?さっきも何か言ってたが」
「いえ、持ち帰った本、ボクにとってはすごく価値があるものですけど、お二人の探してる本じゃなかったから……」
「じゃなかったから、どう思ってるの?」
「お二人は………苦労ばかりして、何にも、報われなかったから………」

 何か、言葉かうまく出てこない。ボクの思ってる、ホントのことが。

 すると、ファルカスがすべての本をひとまとめに重ね、笑顔でボクに差し出した。

「これはお前への報酬だ。お宝だ。お前の。あとは気にすることない。俺たちでやる」
「でも、せっかく大図書館に忍び込んで、あなた方は何も」
「最初にあった日の夜、ファルはあなたを巻き込むのに反対したんだよ」

 サーラが口をはさんだ。また、わけがわからない。

「将来のあるカイン君を今、ここで危険にさらしてつぶしたくない、って。でも私は、その先を見てみたかった。あんなところに、って言っちゃいけないけど、床屋にいるあなたが私の本をすらすら読んだ、その時に思ったの」

 どうしてこの人、こんなわかりにくい言い方するんだろう。

「で、いざ図書館に忍び込んだら、思ったとおりすごく切れる子だったねあなた。知識も判断も、行動力も大人顔負け。でも医者を目指してるんだったら、血が流れるのを見てわれを失うのは絶対に克服した方がいいよ」

 ほめられてるのかダメ出しされてるのか、ただサーラはすごくまじめっぽい。

「サーラ、そこは経験だって。場数をこなせば体についてくるもんだ。だからだカイン、何か問題が起きたら物怖じせず、自分から率先して飛び込んでみろ。そうすりゃ後は、持ち前の能力でお前の仕事ができるはずだ」

 学校の卒業式かこれは。でもファルカスの顔も、笑んではいるけど真剣だった。

 そして、

「だいたい俺たちは、あの図書館にどんな種類の本が集めてあるのか、取り合えずそれさえわかっとけばよかったんだ。後はおまけでお宝があれば儲けもの、てな感じで。お前は案内の役はきっちり果たしたんだ、余計な気は回すこたぁない」
「そうね。あなたのような若い子が、前向きに目標を持って歩んでるのを見られたことの方が、封印魔法の本だか何だかのお宝が見つかるより、ずっとよかったよ、私たちには」

 持ち上げすぎ、と突っ込みたかったけど、こういうのに慣れてないから口が全然開かない。
 気が付くと、窓の外は白々と明けていて、早便を届ける郵便馬車が石畳を踏む音をこっそり響かせていた。

「でもお前は、もうちょっと環境のいいところにいた方がいいな。どっちにしろ、この街にとどまってちゃ宝の持ち腐れだ」
「それができたらとっくに行ってるよ、この子はどこへでも。ぴったりな受け皿がないだけ。確かにそれは、白魔法が発達しすぎてるせいもあるけど」

 サーラはまだこだわってる。

「白魔法とか関係ないです。ボクはボクの仕事を進めればいいだけですから。今度の探索で、かなり使えそうな資料も手に入りましたし、まだあの中にもいろいろあるみたいなんで」

 二人の顔は、何か納得してない。そんなにボク一人じゃ不安、なのかな?
 半分だけ、ウソを言おう。

「でも確かに、自分ひとりだけでは何事を成すにもむずかしいでしょうね。ボクもサーラのように賢くなって、ファルカスのような心強いパートナーができればな、っては思います」

 サーラはあわてたように笑顔を見せた。冗談に取られたかも。
 するとファルカスが、

「ところでお前、歳はいくつだ?いちいち言ってることが大人みたいで、何かおれ普通に話ししちまってたんだが」

 何でこんなこと訊くんだろう。
 サーラを見る。目が、知りたがってた。
 しょうがない。

「精神年齢、って言葉は知ってますか?」

「いいや」
「聞いたことはあるかもだけど、よくは知らない」

「体の年齢と比較して、知識や頭の働き方が何歳のレベルかを示すものです。確かにボクの精神年齢は実年齢のはるか上、たぶん並みの大人より上なのかも知れませんけど、ボクが産まれた年から数えた年数、実際のボクの年齢は、九歳です」

 びっくりし過ぎたんだろう、二人の顔はそのまま固まってしまう。
 何か、笑えなかった。
<了>



あとがき

 宮澤英夫です。お待たせしました。
 だいぶ遅れましたがお約束通り「ザ・スペリオル」の、私が執筆した二次小説、「理髪店の弟子」をお送りします。
 只今小説以外の仕事でも多忙を極め、現在もヘロへロ状態ですが、お送りする本編は形を固めているつもりです。
 で、内容について予め弁明させていただくと、はっきり言って地味で理屈っぽいです。意図的に派手さを抑えたつもりはないのですが、着想と主眼に引きずられて展開が平板に取られるかもしれません。
 システムとしては自分で使い良いよう原作の設定をそのまま援用せず、私の慣れ親しむ「AD&D」のシステムを基調に縛りをゆるめて仕上げました。
 書き上げてみると、サーラとファルカスの性格が原作と比べて大人っぽくなってしまい、すれて世慣れた印象を抱かれるかもしれません。それは幼き学徒カインとの対比を描くための措置ですので、何卒ご了承ください。それと二人が単なる相棒以上の間柄を匂わせる描写もありますが、もちろんそう書きたいという内心からの要請は否めません。しかしそれも表向きは、カインの知識偏重ぶりを浮き彫りにするためのものです。
 あと、「白魔術の発達で医術が軽視されている」というオリジナルの設定が本作の基礎台の一つになっているのですが、他の作品においてその辺りがどのようになっているか確認をしておりません。おそらく問題ないとは思いますが、特段の不都合がありましたらその旨お伝えください。
 本作品で私が抱く三人のビジュアルイメージは、まずファルカスは「北斗の拳」のトキ(ちょっと古いですね)、サーラは「未来警察ウラシマン」のソフィア(ますます古くてわからないでしょう)、そしてカインは「鋼の錬金術師」のセリム・ブラッドレイ(プライド)です。いま現在は余裕がないのですが、いずれ私の描いた三者のイラストを投稿しようかとも考えています。
 ちなみに今さっき気付いたのですが、カインのフルネームを本編で明記してなかったので、彼の姓名はカイン・アベルとなっております。
 で、この度初めて二次小説を書いてみたのですが、私としては意外に難しかったようです。私に限らず、だいたい創作物のキャラとは基本作者の分身ですから、今回は予め決まった型のキャラに自分の思惑を混ぜて動かすのに、当初はほんの少し戸惑いを感じました。でももう薬籠中ですから、この流れで構わないとしたら次にやる時は困惑を覚えないでしょう。
 それでは宜しくお願いします。長文失礼致しました。



――――管理人からのコメント

 投稿していただき、ありがとうございました。
 一話のみの投稿で、ここまでしっかりとまとまっている作品というのは珍しく、とても楽しく読めました。

 さて、ファルカスとサーラの精神年齢ですが、僕が考えているものとそれほど変わらなくてよかったです。
 また、そこまで派手な展開にはなっていないとのことでしたが、謎解き要素の入る作品においては、このくらいがちょうどいいんじゃないかな、と思いました。

 そうそう、カインの一人称が『ボク』だったので、実は女の子なんじゃ、最後の最後でどんでん返しがあるんじゃ、と疑いながら読み進めていったのは、ここだけの秘密です。

 それと、投稿時の文章を『あとがき』とさせていただきました。ご了承ください。
 それでは。



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